R.ALAGANデザイナー REIMI TAKAHASHI
クリエイションのルーツでもある、多文化に育った幼少期。
ララガンがコンセプトに掲げる“亜魂洋才”。日本古来の精神を大切にしつつ、西洋の美的価値観や文化をクリエイションとして表現することを意味するこの言葉は、デザイナーである高橋 れいみがブランド設立時に考えた造語だが、幼い頃からそのフィロソフィーは自然と育まれていた。台湾人の母と日本人の父との間に生まれ、台湾で送った幼少期。彼女はどんな子どもだったのだろうか。
「ごく普通の、おとなしくて、静かに人形遊びやお絵描きをしている子どもだったようです。小学生になるとランドセルを学校に忘れて帰宅したり、夢想していたせいで自転車に乗ったまま田んぼに落ちたりしてしまうような空想家だったようで、それは人とすれ違っても考え事をしていてなかなか気が付かない現在も変わらないですが(笑)。ピアノに華道、習字、ヨガ、琴…。私に向いているものを見つけようと両親がいろいろと習い事に通わせてくれましたが、それほどどれも好きになれず、唯一声楽だけはとても好きで通い続けていました。ぼーっと生きながらも過保護に育ったので、漠然と早く大人になって自立したいと考えていましたね」。
そんな彼女が“着飾ること”を意識するようになったきっかけとして挙げるのが、台湾で出会った母の友人、チュウセンさんという女性だという。「夏目雅子さんに似ていて美しく、優雅で、愛に溢れていて、服装もとてもおしゃれ。最初に憧れを抱いた女性でした。また、祖父がいつも仕立ての良いオーダーメイドのスーツを着ていて、無口だけどかっこいいなと子どもながらに感じたことも覚えています」。親族とその友人との関わり、彼らが身に着けているもの、そして台湾の伝統文化であるアミ族の工芸品や踊り、茶芸などに触れてきた記憶の中にある映像美が、高橋の美学を形成しているようだ。
シンプルに楽しむ、自分らしい生き方の先にあった道。
青春時代を過ごしたのは、留学で訪れたロサンゼルス。「アメリカ人の個性を認める姿勢、平等を重んじる意識などが、現在の私にポジティブな影響を与えているように思います」。フロンティア精神を象徴する土地での生活はアイデンティティの形成に繋がったほか、多感な時期に優れたアートやカルチャーに触れる絶好の機会となった。
「シンドラーハウス、ローヴェルハウス、イームズハウス、ホリホックハウスなどの建築をよく見に行き、大学では陶芸やフェルメール、ゴッホ、ラファエロなどのクラシックな肖像画の模写やヌードスケッチをしていたので、オブジェクト、人間の身体のフォルムやポートレートにいまでも興味があるように思います。サブカルチャーには馴染みがないのですが、アメリカ人の友達がグラフィティを描いていたのがおもしろくて、ついて行って見たりしていました」。
ファッション観にはどのような影響があったのだろうか。「1920年代から60年代のヴィンテージウエアやスニーカーをメルローズやラブレア、サード、シルバーレイクなどでよく探していて、学生の身分ではなかなか買えないので結局スリフトで買っていました。当時人気だったエックスガールのタンクトップを買ってみたものの、似合わなくて友達に笑われたのが懐かしい思い出です。アフリカンアメリカンのクラスメイトが私の髪を面白半分でブレードに編んでくれて、痒かったけどしばらく気に入っていました。90年代のファッションにも影響を受けて、ブレードヘアにスリップドレスを着るのが好きでした」。当時を思い出して高橋が笑う。「韓国系アメリカ人の友達と大勢でよくコリアンタウンに飲みに行って、ボムというハードな飲み方を教えてもらうなど、留学時代は楽しい思い出だらけです」。身をもってさまざまな文化に触れたようだ。
大学卒業後は、ヴィンテージショップでのインターンを経て帰国。当時としては斬新だったヴィンテージとモードを並列で取り扱うセレクトショップに入社し、販売員として経験を積んだ後バイヤーに転身した。ララガンを設立したのは、忙殺される中で、自身の生き方を見直したことがきっかけだった。すべての工程をシンプルに完結させるため、一人でスタートした。
ロサンゼルスでの大学時代に授業の一環としてジュエリーデザインに触れてはいたものの、デザイナーとして、またビジネスとして手がけるのはもちろん初めて。設立当初は苦労することもあったようだ。「元々バイヤーでしたし、ブランドを立ち上げるまでの過程はそこまで苦労しなかったですが、実際にサンプルを作り始めてからはとても大変で。一つのジュエリーが完成するまでにスケッチ、指示書、ワックス、サンプルなどそれぞれかなりの回数を作り直しました。ジュエリーはミリ単位の世界なので、理想の美しさを得るためには緻密な計算が必要です。頭の中のデザインやニュアンスを具現化して職人に共有する作業がとても難しかったですね。まだまだ未熟な私に、いまの職人たちは粘り強く向き合ってくれるので、本当に感謝しています」。
そこで生まれたのが、高橋自身の生い立ちを表すような思想、“亜魂洋才”だった。
つまり、それまでの彼女の人生が、欧米の文化や台湾の感性を織り交ぜながら日本の技術で実現した、ニュアンスや余白のあるジュエリーとして形をなした。それ故に、豊かな感性と程よい抜け感を兼備しながら繊細なデザインを形にする日本の職人への想いは強く、輪島塗の職人や寄木細工の職人などにも協力を仰いでジュエリーを制作するなど、常にその可能性を追求し続けている。
ジュエリーの内に込めたメッセージとは。
しかし高橋は、ララガンを通して真に表現したいのは美麗なジュエリーそのものではなく、内に込めたメッセージだと語る。「私自身がばらつきのある人間です。そんな自分を世間にカテゴライズされることが苦手で、若い頃は多面的な性格が悩みでした。作っているのはジュエリーですが、社会性を孕むメッセージを含んだテーマを探求することで、精神的な自由や静謐、多様な価値観を共有したいのだと思います。それらをルックに込めて表現しています。アートのように受け取る人々が自由に感じてもらえれば」。
最後に、今後のララガン、そして高橋自身の夢を聞いた。
「ブランドとしては、お客様がジェエリーとララガンを体感していただける場所を持つこと。スタッフや職人が安心できる環境を持ち続ける、ブランドに関わってくださる方々に感謝の気持ちを忘れず、共に楽しくお仕事を続けられることです。私個人としては、「真面目になりすぎず、時にふざけながら健康に楽しく生きていたいな、と思います」。
高橋れいみの思い出の逸品。
「祖母から母、そして私へと受け継がれてきた、アノニマスなシルバーリング。スクエアフォルムと槌目模様や抽象的な花の凸デザインが可愛いなと感じ、ずっと大切に保管していました。以前は10〜20Kのジュエリーを好んでいたのですが、これを機にシルバーが新鮮に映り、ブランドを始めるきっかけになりました」。
REIMI TAKAHASHI / 高橋 れいみ
群⾺県で台湾⼈の⺟と⽇本⼈の⽗の間に⽣まれ、⾃然と共に育ち、 幼少期に台湾で多くを過ごした際に培った⺠族的感覚と 思春期にロサンゼルスに移住した事で モダニズムやヴィンテージに強く影響を受けている。2016年〜R.ALAGANを設⽴。⽇本のジュエリー職⼈と妥協しないジュエリー制作をしている。
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_KENICHIRO TATEWAKI