美術家 RUNA KOSOGAWA
芸術の記憶に溢れた幼少期
日常に埋もれがちなささやかな出来事、日々繰り返される命の始まりと終わり。そんなひとつひとつに心が揺れる瞬間を、『記憶』としてガラスに刻みこむ。美術家、小曽川瑠那さんの作品は、慌ただしくすぎていく日常から見る者を隔離し、柔らかくつつんで幼い頃の自分に戻してくれるような、不思議な陶酔感をもたらしてくれる。
作品の最も重要なテーマである『記憶』とは小曽川さんにとって、どのようなものなのだろうか。2月の晴れた午後、一杯のお茶とともに聞いた。
「幼少期は人見知りで、夢見がち。芸術好きな両親の影響で、絵画や書道、ピアノから声楽、フルートと様々な芸術関係の習い事をさせてもらっていました。けれど飽きっぽいところがあり、積み上げていく事が苦手で、ほとんど練習をせずレッスンに行き、先生に怒られて帰ってきているような子どもでしたね」
長く続いた習い事は、絵画、書道、そして「楽器を構える姿に魅せられた」フルートだというが、本好きの姉と一緒に、絵本や日曜日の朝に放送されていた世界名作劇場を観るのも好きだったそうだ。
「ビジュアル重視で、本は表紙の絵が好きなこと、挿絵の枚数が多いことを基準に選んでいました。憧れたストーリーは、ナルニア国物語や小公子セーラにハイジ。現実逃避ではないけれど、自分とは違う世界にはいっていくのが楽しくて、女の子が主人公のお話が多かったのかな。次々と立ちはだかる壁を乗り越えていく、一生懸命生きようとしている姿が好きだったのかもしれません」
広がる世界に、心のままに進んだ転換期
小曽川さんとガラスとの出会いはどのようなものだったのだろうか。
「近所にステンドグラスの作家さんがいらっしゃって、エミール・ガレなどアール・ヌーヴォーに関する洋書をよく見せていただいていました。子どもの頃はエレガントな西洋文化に憧れを抱いていたのですが、高校生の時に家族で訪れたアンティークフェアのイベントで、アール・ヌーヴォーが日本の文化の影響をうけていたことを知り、浮世絵や工芸など日本文化に興味を持つようになりました」
幼少期から慣れ親しんでいた芸術とガラスに携わっていきたいと考え、美術大学への進学。「当時はガラス科がある美大が少なく、第一志望の大学には入れませんでしたが、そのお陰でプラスチックや陶芸、木工など多くの素材に触れることになりました。素材の成り立ちや技法への関心が深まり、陶芸や漆を皮切りに、書や判じ絵にものめり込んでいきましたね。ガラス以外にも関心を寄せることで、ガラスを客観視する目線が備わった重要な時期だったように思います」
大学で制作に没頭する一方で、国内各地のガラスのワークショップに訪れ、世界遺産や工芸産地を巡る旅に出るなど充実した学生生活を過ごした。卒業後ガラス工芸会社に職人兼デザイナーとして入社したが、会社のシステムの中で自分自身の将来像を描くことが想像できずに退社、富山ガラス造形研究所に学び、金沢卯辰山工芸工房を経て美術家としての道を踏み出した。
素直に、自分らしくいること
2012年より飛騨高山にアトリエを構え「医療や過疎など、取り上げるべき問題があったと気づかされ、作品の新たなテーマとなった」と社会的な作品を多く手掛けているが、小曽川さんにとって創作とはなんなのだろうか。
「まず自分が忘れないために、形に残していくという意図があります。日常に流されて記憶はどんどん薄まっていってしまうのではと。知ってもらうということもあります。でも、世の中を変えたいとか、変えられるとは思っていないんです」そういって続ける。
「普通でいることを大切にしています。近しい人たちが病気になった時に、生と死について考えていたのですが、朝カーテンを開けた時に目に飛び込んできた朝日を見て、こういうことが幸せなのだと思いました。カーテンを開けられたこと自体が奇跡で、美しいことだと感じたのかもしれません。楽しく丁寧に、感謝を忘れず、を心がけていますが、毎日同じコンディションでないのが難しいところです」
コンディションを整えるためにはどのようなことをしているのだろうか。
「ストレッチをして心身をリセットしています。食べることも好きで、その土地のものをその土地の食べ方でいただく料理が好きです。野草を摘んでお茶を淹れたり春は天婦羅や蕗味噌にしたり、パウンドケーキもよくつくります」ガラス作家でありパートナーでもある神代良明さんとは食という共通の趣味があるという。「味に対して許容範囲が広くなんでも美味しいといってくれます。少し失敗したなと思ったら、新しい味だね、というように」同業者でもあることから、理解し背中を押してくれる有難い存在だと語る。「ありがとう、と言葉にすることが大切だと思います。と言いつつ忘れてしまうんですけれどね」
探求心の先にあるもの
小曽川さんは「いろんな方と対話をしながら豊かな人生にしたい」と話すが、ララガンとの協業はどうだったのだろうか。
「やり取りを重ねる中で、最初のイメージから発展していく過程がとても楽しく、完成まであっという間でした。れいみさんの直感力と判断力、手が作り出すものを大切にされていることが印象的でした。アートピースのような唯一無二のジュエリーが完成したことをとても嬉しく思います」
旅先で見つけたもの、母がくれたもの、初めてのお給料で購入したジュエリーを今も大切にしているという。「ララガンは『作り込まれた完全なもの』というイメージよりも『不完全さと変化を楽しむ』ジュエリーという印象を持っています。変形パールのネックレスがとても好きなのですが、パール1つ1つに個性があるように、私たちの個性も大切に、完璧でなくてもいいというメッセージ性を感じるからだと思います。好きなジュエリーを身につけるだけで、自信やパワーが湧いてくる感覚があります」
この協業を通して、また新しい扉が開いたように感じると話す。
「今の目標は、作品の抽象度を上げることです。作品のテーマに通じる社会学、文化人類学、哲学を学ぶなど探究心を持ち続けていきたいと思っています。人間性を深め、何かしらのかたちで社会に還元していくことができたら嬉しいです」
そして最後にこう、言い添えた。
「私は『美術』という言葉を、美しく生きるための術、と理解しています。『美』という言葉を幅広くとらえて、美しく生きる術を身につけながら歩んでいけたらと思っています」
手の写真について
「自身の身体の一部である手です。制作に欠かせないパートナーであるとともに、小曽川瑠那の人生がつまったもの、つまり私の記録物、これを可視化させたものを身体と捉えました。両親、祖父母と脈々と受け継がれてきた祖先の全ての記憶、私の44年分の様々な取捨選択と経験で今の私が構成されていると考えると、かなり感慨深いことのように感じます」
RUNA KOSOGAWA / 小曽川瑠那
1978年愛知県⽣まれ。2002年武蔵野美術⼤学⼯芸⼯業デザイン学科プラスチックコース卒業後、菅原⼯芸硝⼦株式会社製造部勤務。2006年オーストラリア国⽴⼤学交換留学、富⼭ガラス造形研究所研究科、⾦沢卯⾠⼭⼯芸⼯房修了。現在、岐⾩県⾼⼭市在住。⾶騨⾼⼭に移住後、⻑い時間をかけて育まれてきた⾃然豊かな⼟地と、地に根づく暮らしに魅了されている。経年劣化しないガラスを儚い命や記憶を保管するための記録媒体と捉え、命・記憶・⾵景など、⾒えないものや変化していくものをガラスで記録している。国内外の美術館やホテル、空港等に作品が収蔵され、フラウエナウガラス美術館、東京都美術館、富⼭市ガラス美術館等の企画展に出品。国際芸術祭にも積極的に参加。
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_KEIKO SATO