アートディレクター MASAAKI KUROYANAGI
ララガンのウェブデザインを手がけるアートディレクター、グラフィックデザイナーの「カリスマ」こと畔柳仁昭。20年来の友人であり、仕事仲間、仕事相手として信頼する存在でありながら、プライベートに関しては謎めいている彼自身のインタビューと聞いて興味が湧いた。久しぶりに会うことになった当日、少し貫禄が増して仙人のような風貌で登場した「カリスマ」を、デザイナーの高橋れいみさんと一緒に紐解いた。
「カリスマ」ができるまで
時代は裏原ブーム全盛期。愛知県の岡崎市で産まれ育った「カリスマ」は、バブル期の大学生活を謳歌していた年の離れた姉たちからお下がりをもらい、おしゃれな先輩たちに連れられて地元のセレクトショップに通い、『Boon』、『asayan』、『POPEYE』、『BARFOUT』などの雑誌を読み漁っていた。そんなごく普通の高校生にある時、転機が訪れる。
「カリスマ」人生において大きなインパクトを残したのが、1997年、5%に引き上げられた増税だった。増税のタイミングでパソコンの購入に踏み切り、義理の兄に勧められたという当時では珍しいApple Computerの「Performa 5200」が畔柳家に届いた。家族の中で特にパソコンが必要だったメンバーはいなかったようで、半年ほど埃をかぶっていた箱型パソコンを、「カリスマ」が少しずつ使い始めた。アップル社の子会社だったクラリス社が開発したクラリスワークスというソフトウエアを覚えているだろうか?そのソフトを使って絵を描いたりしているうちに、「何かやる?」という軽いノリでファッション好きな友人3人と雑誌を作ることになった。
ひとりは背が高くてすらっとしていたのでモデル役、もうひとりはフィルムで撮影するフォトグラファー。パソコンを所有しているカリスマはもちろん、デザイナーだ。おしゃれな先輩から服を借りてスタイリングはみんなで行い、地元の河原でファッションシューティングさながらに撮影を敢行。
巻頭はファッションストーリーではじめて、中盤にはモノクロの読み物ページを、駅前で実施したストリートスナップ企画も盛り込んだ。印刷代を稼ぐために地元の美容室や古着屋を巡って広告営業もした。
創刊号のみで終わってしまったプロジェクトではあったが、「人と一緒じゃダメ」、「尖っていたい」という思いがプチ爆発を起こした青春時代の甘酸っぱいエピソードであり、その後紆余曲折が待っている人生において、「カリスマ」の種が蒔かれた瞬間でもあった。
あの日畔柳家にやってきたApple Computer。アートディレクターとなった今では、欠かせない仕事での相棒となっている。
「カリスマ」の秘めた情熱
経営学を専攻した東京での大学生活は「ごく普通の大学生だった」と本人は言う。高校時代に芽生えたファッション、アート、デザインへの興味は、そんな大学生時代にもむくむくと成長していた。その頃には、自分でMacを買い、出入りしていたクラブのフライヤーを作ったり、友人とTシャツを作ってみたりと「グラフィックデザインをしたい」という具体的な情熱が湧きはじめ、社会人になってからは、その情熱を確かめるようにさまざまな仕事に挑戦することになる。やりたい仕事のキーワードは「何となくファッション、カルチャー、デザインだった」。
ファッションへの興味を再確認するために、アパレルの会社でアルバイトをした。
カルチャーへの好奇心を追求するために、インテリア会社IDEEのキッチン担当の求人に料理経験がないのも構わず応募をした。
デザイナーとして独立したのちも、グラフィックへの関心を突き詰めるために、師匠となるアートディレクターについてデザイン事務所に入社もした。
「言葉では上手く表現できないけれど、目指したいところは常にあって、そこに向かっている感覚はあった」とこの頃を振り返る。
遠回りしたかのように見えるIDEEでの料理人として経験は、実はグラフィックデザインにも生かされていると言う。「食材と対峙して料理を作り上げていくという作業は、デザインにも似ている。素材を生かした鮮度重視なデザイン、時間をかけて作業した方が良い煮込み料理的なデザインというように」。キッチン担当として入社したIDEEではその後、メニューデザインから始まり展示会のDMなど、グラフィックデザインを担うようになる。
「偶然訪れたターニングポイントを必然的に引き寄せた」と自己分析をするが、高校生時代から育んできた確固たる情熱があったからこそだ。
「カリスマ」はロマンチスト
今では趣味となった料理以外にも、高橋さんに度々お勧めをしているというアートブックや、シャルロット・ペリアンやジャン・プルーヴェの家具、ピーター・ズントーやスタジオ・ムンバイによる建築など、好きなモノはたくさんある。そういったモノにも出合うべくして出合いたいからSNSは見ないという。では、デザインのインスピレーションは?
「“最新は過去にある”じゃないけれど、新しいモノや情報ではなく、古いモノにリファレンスしてとびきり新しいモノを作りたい」。感覚的なようであって、そこには誰にも真似できない「カリスマ」なりの法則がありそうだ。一つひとつの仕事に対して情熱を持って向き合い、デザインという足跡を残す。それは、SNSのフィードやストーリーズでは見逃してしまうほど分かりにくい跡だったりすることもある。
ララガンとの仕事もそのひとつだ。「高橋さんはクリエーションに対する情熱の温度が高く、ユーモアと気遣いに溢れた人」。だからこそ、ウェブデザインの提案にも真っ直ぐなアイデアをぶつけた。「まず最初に、シンプルにコレクションが見れて、商品が購入できるサイトではつまらないと伝えました。機能的な部分は担保しつつ、ユーモアのある仕掛けをデザインにいくつか盛り込んだのです。運用上、必要ない部分もあるけれど、ブランドとしての懐の深さを表現できて、面白いものになったと思う。そこを許容してくれるクリエイターと仕事ができることはとても幸せなこと」。具体的には、表のページのコレクションビジュアルを使って、裏コレクションなるページを作ったのだという。「松原さんが撮影したビジュアルを、さらに同じテーマで再解釈、再構築している」というこの秘密の裏ページは、言葉で聞くより実際に探してみてほしい。
「カリスマ」はとびきりのロマンチストだ。ララガンのウェブデザインにはもちろん、彼の作品には隠しきれないロマンチストの片鱗を見つけることができる。バージョンアップを重ねた彼は現在、アートディレクター、グララフィックデザイナーとして、青山のデザイン事務所で働いている。そんな現在地が終着点かと思いきや、死ぬまでに「あと2回ぐらい職業を変えたい」という。「カリスマ」の完全体に会えるはまだまだ先のようだ。
「カリスマ」の拾いもの
思い入れのあるモノは?というお題の答えは「仕事で訪れた撮影先で不意打ちのように目の前に現れたという石や板など、散歩中に見つけて拾ったモノたち。想像を超えた美しさで目の前に現れました。その瞬間は、自分の創作に多大な影響をもたらしてくれる」。そんな「拾いもの」に美しさを見出すロマンチストがここでも顔を出した。
松葉のかたまり
「海と山からの風が交互に渦巻く海岸で、雪だるまのように転がって自ら大きくなったと思われます。」
150センチほどの細長い鉄の板
「雨風に晒されて重厚感のある錆が全体に広がりとても風情があります。」
大理石のかけら
「成形される前に割れてしまったと思われます。人の手が入る前の力強さに憧れます。」
最後に、連発している「カリスマ」という名前にはもちろん由来がある。でも、彼の人生のストーリーを聞かせてもらった今となっては、実際の話を紐解く必要がないかもしれない。本人を知っている人も、これから出合う人も、それぞれの「カリスマ」像を楽しんで欲しいので、そこはまだ謎のまま残しておこうと思う。
MASAAKI KUROYANAGI / 畔柳仁昭
1979年、愛知県岡崎市生まれ。デザインスタジオPark Sutherland(サザランド)にて、ファッション、アート、ライフスタイル全般の分野でクリエイティブワークを手がける。
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_SHIZUE HAMANO