菓子職人 | 御菓子屋うえだ HIROMI UEDA
ララガンの展示会で「御菓子屋うえだ」のクッキーを初めて食べたときの衝撃を忘れられない。口に入れたその瞬間に、身体がじんわりと暖かくなるような優しさと、ピリッと五感に刺激を与えてくれる強さがある。それはまるでうえださんを体現しているかのようだな、と思う。
「一度だけスケジュールがギリギリで、展示会のときにうえださんのクッキーを用意できなかったことがあるんです。そのときのお客さまたちの残念な顔ときたら。ララガンにとって、『御菓子屋うえだ』のクッキーは、絶対に欠かせない存在なんです」と、ララガンのデザイナーれいみさん。
今回はララガンを体現するのに欠かせないピースのひとつである「御菓子屋うえだ」のうえださんに、アトリエが併設されている西八王子の「MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE」にて話を聞いた。
好きなことを突き詰める努力家
うえださんが生まれ育ったのは、京都府の北部に位置する綾部市。いわゆる京都と聞いて思い浮かぶような場所ではなく、山に囲まれ田んぼが広がる田舎町で育ったという。
「いいところではあるけど、少し閉鎖的でどうしても好きになれなくて。大きくなったらこの町から絶対に出ていく気持ちで幼少期を過ごしていました」
実家はお祖父さんの代から飲食店を営み、お祖父さんの頃はお寿司屋さん、お父さんのころは居酒屋さん兼お寿司屋さんと、その町の胃袋を満たす場所として存在してきた。
「お正月の三が日以外、休む間もなく働く姿を見ていたので、子どもながらに、大人になったら料理を作る仕事だけはしたくないと思っていたんです」
そんなことを話しながらも、当時夢中になっていたことを聞くと、中学生から高校生にかけて入部していた吹奏楽の活動と、今の仕事にも通ずるクッキー作り。
「運動部並みにランニングや筋トレをするんですが、運動が苦手だった私も、演奏が上達するためならと一生懸命取り組んでいました。なにかに夢中になると、どんなにキツくても努力できるタイプなんです」
うえださんのその性格は、クッキー作りにも現れていた。
「年の離れたお姉ちゃんが、クッキーを作れるクッキングトイを持っていて、一緒に作ってみたら、楽しくてハマりました。ただ、子どもだからうまく計量することができなくて、肝心の味は微妙(笑)。けど、作るごとに美味しいものを作れるようになりたいと思って、レシピ通りにきちんと測って作ったときに、すごく美味しくできたんです。どうしてもお父さんに食べてもらいたくて、仕事が終わるまで待っていたら、『ちゃんと作ったら、ちゃんと美味しくなるな』って感想が返ってきて。その言葉が嬉しかったのを覚えています。
自分のしたいことを探し続けた東京での生活
故郷を1秒でも早く出たいと思っていたうえださん。高校を卒業したらとにかく東京に行かねばならないと、進路は東京にある音響系の専門学校へ。
「親には申し訳ないけど、ただ東京に行きたかったから選んだ学校に進学しました。そんな気持ちで上京したので卒業するまでの2年間でやりたいことも見つからず。けど、どうにか東京では住み続けていきたくて、卒業を前にして興味を持ったのがカフェのアルバイトでした」
接客をすることが苦手だったといううえださんは、キッチンへ移動することに。
「お皿洗いをしたり、スポンジケーキにクリームでデコレーションをしたり。調理場で過ごす時間は一瞬でした。料理にまつわる作業が楽しくて、これは自分に向いてるかもと思いました」
20代は、カフェやイタリアンレストランなど、いくつかのキッチンで働きまくる日々を過ごし30歳を迎えるタイミングで、その忙しない日々に終止符を打ちたくなった。
「頑張ってきたと思うけど、これまでを振り返ったときに、『あなたはなにが作れますか?』と、聞かれたら思い浮かぶものがなくて。仕事は楽しかったけど、お店から言われることだけをやってきた受け身の自分から、脱却したくなったんです」
すベては「おいしい」という一言のために
一度飲食業をやめることを決めたタイミングで、空いた時間に始めたのがクッキー作りだった。
「どうしてクッキーを焼こうと思ったのか、自分でも本当に謎。『私にはクッキーしかない。クッキーを焼いて売っていくんだ!』って、直感的に思ったんです」
いつだって決断をするときはブレないうえださん。「これだ!」と決めたとき、彼女の答えはハッキリしているし、早い。
「ご飯などの料理に関しては経験があったから、失敗するのが怖かったんです。クッキー作りは、“逃げ”でもあったのかもしれません。焼き菓子はしてこなかったから、研究しがいがあるし、一から極めていけるなって」
そこからはとにかくクッキーを焼く日々。働いていた職場でもレジ横で売らせてもらうなど、少しずつ販売をするように。周りからの「美味しい」という言葉に、手応えを感じていき、徐々に「御菓子屋うえだ」が、形作られていく。
「屋号の『御菓子屋うえだ』は、旧姓の苗字から。洒落た名前にしようと思っていたけど、まったく思い浮かばず。営業許可をもらいに行った役所で担当したおじいちゃんの顔を見て、直感で決めました。“御菓子屋”が漢字なのは、そのおじいちゃんがその表記で申請書を書いたから。ナイスアシストです」
徐々にイベントなどでの出展が増え、広い工房が欲しいと思うようになり、家具屋のパートナーと西八王子にて倉庫を借りた。ここではお菓子作りはもちろんのこと、月に数回販売も行っている。
「クッキー作りを始めて10年目だけど、いまだに毎回うまくできているのか不安だし、もっと上手になりたいって思っています。子どもの頃から変わらず修行好きなんですよ」
ララガンとの出会いは、共通の知人の紹介から。ある展示会でうえださんのクッキーを食べたれいみさんが、その味に感動しオーダーをし始めたのがきっかけだ。これまでグレーの色をしたクッキーや、マン・レイをイメージした顔のクッキーなど、一癖あるものをともに作りあげてきた。
「打ち合わせするのが苦手で、外部の方と関わる仕事はあまりしてきませんでした。けど、れいみさんとの仕事は、イメージが掴みやすくてストレスがありません。これまで作ってきたクッキーはどれもお気に入りだけど、印象に残っているのは“Curious”のクッキー。れいみさんがオリジナルでクッキー型を作ったんですが、納品するときに、“u”が抜けていたことに気付いた伝説の一枚です(笑)」
そう笑いながら話す。どんなことでもやり遂げられるのは、これまで培ってきた技術と、本人が持つユーモアがあるからこそ。
「人から『おいしい』と言ってもらえるのが自分にとっての幸せです。そう言われるために、私は作り続けているのかもしれません。いまはクッキーだけど、過去に一度諦めた料理にも挑戦したいです。いつかお父さんがやっていたようなこじんまりとしたご飯屋さんを開くのが夢ですね」
取材の際に、クッキーやエクレア、アイスクリームなどを振る舞ってくれたうえださん。「おかわりもどうぞ」とさりげない心遣いが幸せな気持ちにしてくれる。みんなで「おいしいね」と言いながら心が満たされていった。私の舌にうえださんが作る「幸せの味」が刻まれていく。
HIROMI UEDA / 上田宏美
都内カフェ、レストランで調理師として勤務後、御菓子屋うえだとして独立。焼き菓子作りを行う。
@okashiya_ueda
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_FUMIKA OGURA