調香師 | かほりとともに、 SARI
樹木や草花、鉱物など、地上の恵みが宿す香りを届ける沙里さんは、いろとりどりの自然物を採取しながら、たゆたい連なる一期一会に立ち会っている。遥かな記憶を紡ぐとき、まとう歳月は悠々と世代を超えている。
「蒸留とは、文字が示す通り、熱で蒸しあげ一気に冷却することで、そのものがもつ芳香成分を留めて採集することです。それは、土や水、火といった自然の力を借りた恩恵でもあって、長い年月をかけて蓄積された記憶の集合のようでもあります」
いにしへから繋ぐ、香りとともにある暮らし
数年前、縁あって譲り受けた軽井沢の山のアトリエは、野生の 黒文字が自生する森に囲まれていた。黒文字は沙里さんを香りの世界へと導いた、特別な植物の一つ。今も変わらず、その神妙な豊かさに惹かれ、日々の一葉を慈しむ。
「香りをいただくことは、いのちをいったん区切る “むごい” ことでもあるんです。同時に、そこでいったん終わりを迎えても、宿るものを必要なところへ届けるために保存する “タイムカプセル” のようでもあります」
自然から香りをいただく行為は、世界各地で多様な様式と装いで行われてきた。時に、信仰の傍らで私たちの精神を鎮め癒し、霊性をひらく。時に、その薬効が毒や熱、滞りを解いて心身を整える。そして時に、惹かれる香を焚き、まとい、導いていく。時代や文化を超えて互いに似通うさまは “神話” のようと沙里さんはいう。
「蒸留は、古くから続く人間の営みで、アランビックで知られる銅製の蒸溜機は古代の錬金術師たちが使っていたと言われます。日本では、仏教と共に香木が大陸から渡り、後に香道に発展しました。なかでも伽羅は、何千年という歳月をかけて樹木が発酵したものです。時のなかで自然と醸す香りには、尊敬しかありません」
それ自身が宿すものの美しさに、敬意が溢れる。だから、自身が採取する時も「”わたし” はそこに要らない」という。
「景色や感情を辿るように、そこに蓄積された古い古い記憶を取り出していくような感覚です。出来上がって “こうなりたかったんだ” と知らされる。私はいつか、夢を聞かれて”透明になりたい”と答えたことがありました。そういうと “自分が無い” と悲しく聞こえるかもしれないけれど、そうあることの満ち足りた感覚を知っているから、私にとってそれは悲しいことではないんです」
多くの存在と、ひとり豊かに
「幼い頃はすごく忙しくて。いつも何かしらの習い事に追われていて、母は暦の節句を欠かさない人でした。祖父母が事業をしていたり、親戚も多くて大人に囲まれているのが日常でした。それゆえか、本を読んだりピアノを弾いたり、ひとり閑かに過ごす時間を欲していたような気がします」
生まれ育った三重県東部の町は、お伊勢さまに通ずる入口にあたる場所。古くは城下町として栄え、幼い沙里さんにとってこの土地は、時を超えて想像が膨らむ最高の遊び場だった。
「草花を石で擦り潰して、お薬を作って人に渡していたのを思い出します。家の敷地にはお社があって、神さまに捧げるお水を代えるのが私の日課でした。植物や石と遊んだり小川でザリガニを捕まえる傍らには、いつも神事がありました」
音色が響く、休符を
沙里さんが書き留める香りの記録は、美しい。ペン先が打つ点と点から、見えない波紋が広がっている。その様子は楽譜のようで、実際、彼女は香りを音色や「音にまつわる記憶」に重ねてよんでいる。体系的に学んだ知識に紐づく前に “共感覚” が立ち上がるという。
「私が香りから音を聴いているのは、多くの人が自然にしていることじゃないかと思います。色やイメージだったり、体感だったり、数字だったり・・きっと人それぞれに方法は違っても、感覚的に、過去の記憶にリンクしながらこの瞬間を体験していますよね。人が香りをまとう時、その人自身と融合しながら変わっていく、その方独自の香りが生まれます。だから、楽譜でいうなら “休符” がとても大切なんです」
香りを調香しながら沙里さんに聴こえてくる、一音一音と、その和音。和音は、休符のなかで溶けていく。音の響きがそうあるように、香りは、取り巻く環境に応じて変化してゆく。集積された無数の記憶は、余白のなかで、かぐ人の記憶と結ばれる。それは、消えゆくと同時に、誕生が歓迎されてゆく過程ー
そこにあるもの、生まれるものを
「自然は、個体やタイミングによってすべてが一期一会です。ルーティンが苦手な私は、だからこそ続けていられる。天体のリズムや体系化された仕組みに従うこともあるけれど、自分の体感や直感がそれに添わないこともあります。そうした時は、感じる違和感や直感を大切にしていて、型に収めようとしないことや、そこに生じるものに委ねていくことの積み重ねが、私にとっては大事で必要なんです」
予め用意された方法が最適で相応しいこともあれば、それが自然のはたらきに背いてしまうこともある。視点によって正解は多様にあって、決められた正しさは、あるようでいて実は不確かで、選択肢は、きっと無限にひらかれている。「すべての葉が落ち、雪に覆われた樹々が見せる景色を前に訪れる静寂があります。家族とごはんをいただきながら、無言になることがあります。そこにはいつも、言葉を失うことを赦されているような安心感があって。そんな、感覚に満たされている時、閑かに自然の巡りが聴こえてくるんです。そうしていったん言葉を失った後、あらためて出逢う言葉の世界に、深く惹かれていくんですね」
言葉なき身体や無意識の世界は、私であって私に限定されない、ひろくて深い海のようなものかもしれない。みえないもの、きこえないもの、触れ得ないもの… この世の多くを占める輪郭なきものたちを、感覚に映えるものへと掬いとる。その恩恵をいただいて、私たちはしばし思考を休め、おおきな巡りと、個々が打つ鼓動のあいだでバランスを取っている。社会の仕組みや常識も、私たちを守り支えてくれる。けれど、感性やいのちの経験はそれらを悠々と超えてしまうから、溢れる縁や体験を歓迎しよう。沙里さんの瞳は、そんなすべての経験を受け入れて、生かしてゆく悦びが煌めいている。
画家のマティスが晩年を過ごした、南仏ヴァンス。彼が晩年に築いたロザリオ礼拝堂を訪れたこの夏の体験が、沙里さんの死生観を更にほどいた。
「生きている間に成し遂げたい、そう思うことがなくなってしまったんです。成し損ねたことは何もない、と。同時に、こうして巡り逢うご縁が集い、ご一緒に響きを奏でながら胎内に還るようなーー そんな空間をつくってみたいという思いがあります」
儚いようで確かに繋がるものたちが、終わり始まるリズムのなかで、色に香りに、音に形にあらわれる。時空を超えて共有している、この世にわたる多様な響き。
「ララガンのジュエリーには、千年前も千年先にも通ずる”約束”のようなものを感じています」
私であって私でない、大きな海に宿る “約束” が、自然を介し、手を介し、響きを介して千年先へと受け継がれていく。たゆたうままに、うつくしく。
Kahoritotomoni Sari / かほりとともに、 沙里
「記憶とこころ」をテーマに、植物等からエッセンスを抽出し、風土や人、音楽や季節のうつろい、五感と響き合う体験を、香りによって引き出すことを探求しているアーティスト。
日本の伝統的な香道作法と西洋の香文化を融合させた新しい聞香を創始し、未来に繋ぐ活動も行っている。
国内外での調香アトリエ多数。インスタレーションほか、空間や製品における香りのデザインに携わりながら、コラボレーションや体験を通じ、生への問いを重ねている。
IFA国際アロマセラピスト。2011.フレグランスコンテスト環境大臣賞受賞2015.ミラノ万博博覧会にてフレグランス選出。
@sari_____kahoritotomoni
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_ERIKO TSUMORI