美容師 | ヘアメイクアーティスト JUN HAYATSU
心地良い、混沌と均衡
純さんは、魅力的な人である。けれどその佇まいは、センスがあるという言葉で表すにはどこか惜しい。決して完璧ではない。むしろ緩やかに品良く何かが崩壊している。すべては、彼女の作り出す独創的な均衡のもとに成り立っている。それが不思議と心地良い。だから、彼女が身につけるものは、どこから来ても、誰が作っても、彼女の言語をたおやかに話し出す。
雑然さと、清潔さと
日々の居場所である美容室「OFF」のインテリアは、“趣味が良いわけではない店主の好きなものが散りばめられている”雑然とした雰囲気なのだという。何に使うのか分からない古道具や面白味のある花瓶が所狭しと並び、どんな趣味嗜好をも受け止める本が積み上がる。そんな迷宮のような場所でありながら、隅々まで清潔。それは、彼女のまとう世界そのもののようだ。すべてが混沌にあるようで、必然のように調和している。すごく心地良く、とても自然な様。
「最近、美しいと感じたのは、精油の調香師である友人の所作です。真っ白なムエット(試香紙)を手渡してくれる仕草や、さらさらと軽やかに伸びる筆跡、手首をしならせてビーカーを揺らす様。ひとつひとつがとても丁寧で。眺めているだけで心が洗われるような経験だと、改めて思いました」
自身も常に丁寧でいることを心掛けているという。それは、鏡にうつる所作や気遣い、行き届いた掃除にまで表れる。店舗を始めて23年が経つが、最も大切な場所だと考えるトイレ掃除をひとに任せるようになったのはここ5年ほどのこと。
「自宅で心落ち着く時間も、掃除を終えたあとの寝室に、西日が差し込むとき。1週間分の汚れを落としたシーツの上で猫たちが思い思いに過ごしている様子に、朗らかな幸せを感じます」
迷い込む、旅の記憶
純さんといえば、旅をしている姿が浮かぶ。どこまでも続く、乾いた風の吹く旅先の路地裏。使い古した洗濯物がはためいて、賑やかな彩りの婦人たちが立ち話をする横を、子どもたちが走り抜ける。迷い込んだ場所で目にする風景と、隣を歩く夫とのとりとめのない会話。そんな他愛もない時間が、いつまでも鮮明に心に残っているのだと、純さんは話す。
「夫である酒井さんとの共通の趣味は旅。毎年何処か、ふたりで訪れます。旅のあとに心に残るのは、観光地を巡った経験よりも、地図に弱いふたりして迷い込んだ、なんでもない場所をただただ歩いた記憶。普段は話さないような将来のことを共有することもある。そんな時間が、結局好きなんです」
物事の細部を見てしまう癖があるという。それが、彼女の穏やかで深い人間性を形作るヒントなのかもしれない。
人間味を慈しむ
「子供の頃、好きだった季節は夏。新潟出身なので、短い夏を愛おしく思っていたのかもしれません。毎年家族や友人と、海辺でテントを張りキャンプやバーベキューをしました。でも手放しで楽しかったかというと、そうでもない。焼きそばや寝床に砂が混じる不快さや両親の喧嘩もしっかり覚えていて。それでも、夏は子供の私にとっては良い季節だったな、と」
物事の良い部分だけではなく、その弱さも含めて魅力を感じることが出来るのだろう。例えば臆病なところや疑い深いところなど、ひとに対しても、完璧ではない人間味のある部分に惹かれるのだという。その言葉を耳で汲みながら、寧ろ私たちこそ、純さんの人間味に惹かれているのではないだろうかと、思った。
休みが取れたら、いつか長く旅をしたいと言いながら、猫のことを考えると1ヶ月くらい、と付け加える。おおらかで強い女性のようで、猫のように慎重。無垢な遊び心と同時に人並みの毒気も携えるひと。自分の心地良さを知るひと。
まじないとしてのジュエリー
決して華美ではない、けれど、幾重にも組み合わせたジュエリーのまとい方に、そこにも自分らしい言語があるのが分かる。初めてのジュエリーは、ラピスラズリのペンダント。今でもネックレスにはまじない的なものを感じるが、それ以外のものに関しては、装飾物として嗜む。やはり、彼女は自分が心地の良い楽しみ方を知っている。
「ララガンは、一言でいうとエレガント。それはファーストコレクションを見せてもらった時から変わらない印象。ただ、どこか掴みどころのない多面性も持っている。成熟してユーモアが加わったり、モダンなのに古典的だったり。それは私にとってのれいみさんの印象そのままでもあります」
人の手によるもの、手作業により生まれたものに魅了されるという。“ひと”にも“もの”にも、透け出す人間味を愛するという共通項が、純さんを取り巻くすべてをゆるやかに調和させているのだろう。
手にあまる鋏を使うとき
思い入れのあるものは、愛用している7inchの鋏。一般的な鋏に比べてひとまわり大きなサイズなのだという。
「アシスタント時代に働いていたお店のオーナーが使っていたのを真似て、使うようになりました。床屋さんが刈り上げをするようなサイズ感。手が小さいので、私には大きすぎるはずなのですが、使い始めてからカットの質も速さも変わりました。得意なボブを、より美しく切れるようになりました」
美容師としての仕事は、出来る限り続けていきたいと語る。
「お客様と1対1で向き合えるカットの時間が好き。会話の中からお客様の今の気分や願望みたいなものを汲み取ってヘアスタイルに反映させます。その人を知ろうとすることで頭の中がとてもシンプルでクリアになるんです」
ここまで辿ってきた、純さんの魅力が内包する多様なものごと。彼女の生むはかない均衡は必ずある。そのムードを言語化し、誰かと共有することも出来る。ただ、掌からこぼれ落ちる水のように、やはり、それはしっかりとは掴めない。たくさんのヒントを拾うことは出来たけれど、朧げに見えたシルエットは、どこまでもシルエットでしかなくて。センスという言葉で表される何かは、偶然なのか作為なのか、それを問うても、彼女自身にも分からないのだという答えが戻ってきた。
なんだか夢見心地な気分で清らかに磨かれた鋏に視線を落とすと、ピリリと棘のある輝きに、いつも素敵な純さんの姿がシャープにうつっているのが、見えた。
JUN HAYATSU / 早津純
代官山のヘアサロン「OFF」にて美容師として活動する傍ら、ヘアメイクアーティストとして雑誌やカタログなどでも活躍している。
off04.com
@jujuju1117
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_SEIKO HAYASHI