建築家、アーティスト、シェフ MORIE NISHIMURA
ぽつりぽつりと話すようで、とめどなく続く会話。インタビューは、連綿と話題が移り変わってゆく時間だった。
ララガンデザイナーの高橋れいみさんがコレクションに向かうとき、恩師と並び、存在を思い浮かべる人。その人の言葉や作品の態度が、彼女の内側にあった問いを呼び起こす。削ぎ落としてなお、心に響くものは。そもそもデザインは今、必要なのか。根源的な思いを確かめる装置のように、その人、西村森衛さんがいる。
アーティストで建築家。ララガンとは数年前にコラボレーションして、コレクションアイテムのいくつかを彩った。例えば、トップがロケットペンダントのように蝶番(ちょうつがい)で開閉して、内側が緑青を帯びたリング。例えば、水晶に鏡面加工をしたリング。時の経過とともに表面が剥がれ、内側の本質である水晶が顔をのぞかせる。
「”だんだん削れていくミラー”なんて、随分迷惑かけたかもしれないけど」
恒久的なつくりを要求されがちなジュエリーにおいて、変化を価値とする作品を提案した。
「ジュエリーをデザインしているようで、精神を提供していると思っている」というれいみさんだからこそ、その部分で触れ合う西村さんがいる。
モーリス・メルロ=ポンティの生まれ変わり?
「西村さんは、flowという感じ。雲のようでつかみどころがない人」というれいみさん評は、冒頭のような会話の意味では、確かに、と腑に落ちる一方で、口にする言葉は明快で、迷いが感じられない。
アーティストの両親は横浜で洋食のレストランを営み、西村さんは三人兄弟の長男として育った。5、6歳ずつ離れた弟たちや近所のちびっ子をおんぶしながら、今でも大好きな虫探しに没頭した。賑やかな情景を思わせるが、また別の記憶では、内向的な性格で、女っぽいなどといじめられもしたという。
勉強は嫌い。代わりに本をよく読んだ。空想の物語に始まり、次第にリアルの世界へ。科学、歴史、エッセイ、そして、20代になると哲学書にたどり着く。
「哲学書は、散文。自分の考えを、誰にも伝わらなくていいから全部書く。だから難しいんです」と独特の見解!
何冊も読み漁った結果、たった一人、共感できた哲学者がいたという。
「モーリス・メルロ=ポンティ。哲学者であり、科学や医療にも通じていた人。森衛(もりえ)と名前も似ていて、考えも近いし、生まれ変わりかな?なんて間抜けな空想をしていました。彼の言うことは、一方では情緒的だけれど、科学的でもあって。まるでリバーシブルの手袋のように、表裏一体で同じ一つなのだけど、違う二つの質を備えている。自分の作品の考え方にも通じるものがありました」
必然性から生まれる美しさ
ララガンのアトリエには今、彼の大切なA Quiet Celebrationと呼ばれる連作の一つ、真鍮のミラーがある。
円形に拡張された蝶番が、緑青を帯びた支柱に支えられている。蝶番を開くとまさに蝶の姿になって、内側がミラーとなり、室内の風景を鈍く映し出す。
蝶番という、普通は「部分」でしかない道具が、「全体」となる。円と線、そして真鍮という単一の素材だけでミニマルに構成された作品だ。
れいみさんは「古代的でもありながらすごくモダン。ここまで極限にデザイン性を落として、アートとして成立している」と惚れ込む。
「人間が作る幾何学(図形)のまる、さんかく、しかくは、美しいと思うものの根源」と西村さんは言う。普遍的なかたちから、唯一のかたちを生むこと。単一の素材から、いくもの表情を引き出すこと。そうして単純な要素の積み重ねが、非凡な存在になる。単純と非凡の結びつき。
「抽象的な美しい彫刻。人間がつくり出したもので言えば、東京タワーやガスタンクなど、機能をもったもの。夕焼けとか、雲や山、色のきれいな虫」
これらは、普段から心動かされるものを聞いた時の答えの一部だ。脈絡のない羅列に見えるけれど、「自然の摂理に逆らわないもの」という共通項がある。「無駄のない必然性から生まれた美しさのあるもの」と置き換えれば、謎がはらはらと解けるように理解が進む。その必然性には、精神からの必然も加わって、惹かれるものの羅列は「人間から生まれた自然なもので言えば、宗教やお祭り、古代の宝物やアクセサリー。美しいかたちの道具」と続く。
道具、とりわけ工具は、大工でもある西村さんに欠かせない上、自身の作品に度々現れる主題でもある。
「工具は、自然ですよね。使いやすいし、飾っていない」
その言葉が、西村さんが大事にしている、美への根幹、さらには人生のあり方を言い表しているように響いた。
足りないものを取り戻して、普通の人間になりたい
西村さんは今、週に一度、両親の店で調理を担当する。そしてここ数年は建築、とりわけ「人のために家をつくる仕事」に専念している。誰の言うことも聞かず、思うままに空想を重ねるアートとは違い、料理も建築も、「目の前のお客さん」のためだけに手を動かす。そうして喜んでもらうことが、今の西村さんの喜びでもある。
「自分が頼まれた以上、美しいことは前提。お客さまに耳を傾けて、表情や相槌から感じて、気持ちにもっと寄り添いたい」
アーティスト一家の中で育ち、共に生きてきた。その環境は西村さんの構図や色への美意識や、食への繊細な感覚を当たり前のものとして与えた一方で、人との関わりや事務的なあれこれを遠ざけることを良しとして生きてきたところもある。
「ちょっと前まで本当に人に興味がなかったので、今、遅ればせながら人から学ぶことがとても多いな、と思っています。これから成長するのも大変だと思いますけど、足りない部分を取り戻して、最後に普通の人間、まともな人間になれたらいいなと思っています」
Still waters run deep. 深い川は静かに流れる
「こうしたいと思うと、どんどん近づいていく。ご縁や巡り合わせに恵まれてきた」と西村さんは言う。けれどそこには「こうしたい」と思う意思をまずはセットする、西村さんの静かな強さを感じる。
「流れるように生きているという感覚が強いですけど、確かに、その時々で意思や目標ははっきりしている」
派手に主張する必要のない、深く流れるやわらかい芯が、西村さんの語りから滲み出る。工具のように静かに、わかる人だけに強く響く美しさを放ちながら。
れいみさんはまたいずれ時が来たら、その時の西村さんが生み出す作品を見る日を楽しみにしている。
その「いつか」のリクエストに、西村さんも小さく頷く。
「れいみさんは、次のコレクションがどういうものか、ということ以前に、やるかやらないか、デザインを続ける意味は何か、というところから発想している。鉛筆や図面じゃ決してできないような形をつくっている」
時折美しいと思うものについて雑感を交わしながら「せっかくつくるなら、どこかから出土した宝物みたいなものがいいかね、なんて子どもじみた話をしています」という二人の、いつかをゆっくり待ちたいと思う。
MORIE NISHIMURA/ 西村森衛
1976年生まれ。高校卒業後、大工の見習いをしながら夜間の美術大学で建築やインテリアを学ぶ。アーティストとして海外での展示やハイブランドとの協業を経て、現在は山中湖を拠点とする建築活動と、実家の洋食店での調理に専念する。
https://ni-aa.com
@morienidhi
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_YUKO MORI