俳優 YURIKO ONO
ゆり子さんがまとう清らかな水のような空気。純度が高い人だなと思う。
ルックの撮影に参加してもらった際、撮影が始まったとたん、一瞬で凍てつく氷のようになったり、包み込むような霧のようになったその瞬間が忘れられない。
水のように、自在に変化する。
時に濁流になるような現代において、自らを清らかに保ちながらも、逞しく邁進してきたその道のりをたどっていく。

学芸会から紡がれた、お芝居への道
出身は東京の中目黒で、生粋のシティーガール。服飾関係の仕事に携わる両親のもとで生まれ育った。6つ上の兄との二人兄弟で、幼い頃はいつも兄の後を追いかける活発な子だったそう。
「身体を動かすことが大好きでした。体育の授業がなによりも楽しみで、放課後は、バドミントンやバレーボール、バトントワリングと、中学から高校まで部活動に明け暮れる日々でした」
そんな運動一色の日々のなかでも、もうひとつ夢中になっていたのがテレビドラマだ。
同世代の俳優さんが涙を流すシーンを見るたび、その演技力に胸を揺さぶられて……。『私もあの世界に立ってみたい』と、心のどこかで思っていました」
俳優・小野ゆり子としての基盤が少しずつ形を帯びていく。演じることへの原点となったのは、学校行事だった学芸会。
「小学生の頃は『泣いた赤鬼』で青鬼役、中学生の頃は『ケンジ先生』で、おばあさんの役を演じました。配役のオーディションもあり、本格的だったんです。演じることがこんなにも楽しいものなのかとはじめて実感した出来事でした」
ゆり子さんは謙虚な人だ。誰に対してもフラットで、おごらない。話を聞いているこちら側の肩の力を抜かせてくれるような、やさしい空気が漂っている。彼女が演じた役柄もまた、そんな人柄を写すかのような人物だなと思う。心優しくて、温かい。主人公のそばに寄り添いながら、物語にやわらかな息遣いを与えている存在。

演じることを、手放さない
「言葉で表現するのは難しいのですが、学芸会で味わった感覚をまた体験したいなと思ったんです。お芝居を通して、自分では想像できない場所に連れて行ってもらった余韻が、ずっと身体に残っていました」
芸能の道を進み始めたのは、まさにこの頃。知人の事務所からゆるやかにスタートした芸能活動は、高校3年生の頃から徐々に本格的な動きを見せ始める。当初はモデル事務所に所属していたが、のちに俳優の事務所へ。このときのことを振り返るとき、ゆり子さんは「執念」という言葉で表した。本人からどこか遠いところにある言葉な気がしたが、話を聞き進めていくと、彼女の芯にある熱さに触れた気がした。
「モデル事務所と提携する俳優の事務所へ所属したくて、事務所の前を通るたびにオーディションや、ワークショップがないかと常に前のめりでした。どうしてもお芝居がしたくて、少しでもチャンスがあるなら食らいついていかなきゃって」
普段は感情を内に秘めるタイプだと話していたが、演じることに対しての真摯な気持ちや、やりたいと思ったことには無我夢中で突き進んでいく真っ直ぐな部分に触れ、彼女の本質が垣間見えた。ゆり子さんの純度の高さは、この部分にあるのだろうと。
「大学三年生の頃、野田秀樹さんの舞台への出演が決まったんです。稽古も含めると、長い期間、学校を休まなくてはならない状況になってしまい、それなら『大学を辞めよう』と。周りからは止められましたが、なんとなく選んだ進学だったということもあり、これからは芝居一本でやっていくべきだと思ったんです」
家族には内緒で退学届を出し「もう決めたから!」と、事後報告したという。ここが俳優としてのターニングポイントなのかなと思うと、こんな答えが返ってきた。
「改めて考えてみると、役者としての転機は30歳のころで、娘が生まれたときだなと思います。自分自身が生まれ変わったくらい、仕事への向き合い方が変わりました。これまで、私は自分に自信がなくて。母になれたことで、ようやく地面に足が着いた感覚があったんです。自分にしかない役割を与えられたことで、自分の存在を受け入れられるようになりました」

自分を受け入れることで見えた新たな景色
子どもが生まれたと同時に、20代から30代へ駒を進めていったゆり子さん。誰しもが味わったことのある記憶とは言えないが、20代のときはどうしたって、周りと自分を比べてしまったり、経験が浅いゆえに自意識が邪魔をすることもある。
「自分にないものを求めたり、自分で想像できる箱の中でもがいていた感覚がありました。
たまに壁を開けてくれる人もいましたが、自力では開けられない、そんな分厚い壁の中にいた20代でした。それが年齢を重ねて自分を受け入れられたことで、無理をせずに自分にできることを考えられるようになったんです。そのときに初めて、こんなにも心が軽く、楽な気持ちになれるんだと思いました」
俳優・小野ゆり子として、自分にあるもので表現する。人としての経験値が増えたことで感情の引き出しも増え、演じることへの意識も変わったと話す。

役者は、生きざま
小学生の頃に演技と出会ってから数十年。演じることに生きる意味をもらっているという。たのしいことや嬉しいことはもちろん、悲しいことや苦しいことが起きても、お芝居があるからなにが起きても大丈夫だと話す。自分の生きざまが役に投影できるこの仕事は、ゆり子さんにとって人生そのものだ。
「自分のことを肯定できるようになってきたからこそ、いまはとにかく表現をすることがたのしいです。今回、ララガンでもモデルをやらせていただきましたが、写真を撮られる時も、頭の中で物語を作りお芝居のようなことをしているのですが、写真だからこそ切り取れる表情や空気がある。役者としても、モデルとしても、『表現するということ』にこれからも自分らしく向き合い続けていきたいなと思っています」

デザイナーのれいみさんはゆり子さんをウォーターオパールのような人だという。
一見して透明のようだが、七色の遊色を持つ石である。
これからどんどんと、その遊色は色濃くなっていくのだろう。
ララガンはスウィート&スパイシー
ゆり子さんがララガンと出会ったのは、このphilosopherでも登場した「HOOKED VINTAGE」の安藤小葉さんと、美容師の早津純さんがきっかけ。
「憧れの存在である、お二人がララガンを身につけていて。とても素敵なジュエリーだなと思っていました。けど、私には手が届かないものだなって思っていたんです。今回、縁があってモデルのお声がけをいただいたときは、『まさか私が!?』と、本当にうれしくて」
ララガンは小泉今日子さんの楽曲「sweet&spicy」の一節が頭を過ぎるという。
「『甘さと刺激ね、それとユーモア』。まさにこのフレーズがぴったりだなって。以前、れいみさんが、ジュエリーで使用している石のことを『生肉みたい』と、ユーモア込めて表現されているのを見て、私も美しいものを見ると、そういった感覚になることがあるんです。それまで私には敷居が高いジュエリーだと思っていたのが、その一言で急に身近に感じられました。ララガンはとびきり美しくて、刺激的なんだけど、どこかユーモアもある。そんな風に感じています」
YURIKO ONO / 小野ゆり子
1989年生まれ、東京都出身。2008年モデルデビュー。
noraweb.jp
@nora__inc
@yurikoono_official
Photography_DAEHYUN IM
Interview&Text_FUMIKA OGURA